アイドルにハマった昔話

過去に応援してたアイドルと自分の思い出ニッキ

初めての遠征

毎日ニッキ、ニッキで

学校でも帰宅しても

ニッキ一色で過ごしていた毎日

 

ニッキが載っていた雑誌に

「好きな人います」という見出しが!

目の前が真っ暗になりながら

記事を読むと…

 

錦『ラブソングは

  好きな人がいないと歌えない』

 

って書いてあって

ショックでショックで

すぐ克ファン友に電話して

泣きながら話を聞いてもらいました

 

当時はよく泣いてましたね

録画が出来てなかっただけで号泣してたり

でもその後20年以上ファンをやりましたが、

本人の前では泣いたことがないんです

感動とか嬉しいの涙ではなく

泣いてたのはショックの涙だったんでしょう

 

話戻します

 

大人になったら

絶対ニッキと出会って

結婚してやるーー!と

強く思ったものです(こわいな)

 

ニッキは

よくも悪くも正直で

絶対に嘘はつかない

ファンを大切にしているんだろうけど

浮ついた言葉で引き止めたりしない

ここは本当にぶれない

きっと今もそうじゃないかな

 

そういうところが魅力であると

気づいたのは

ずーーっと先で

当時10代の私は傷つきまくりでした

 

なぜ好きでいれたか?

やっぱりカッコよかったし、

テレビを見れば目が合う(当たり前)

こちらを見て笑ってくれる(こら)

何もかもが大好きだったんですよね

 

あとは

自分がどうニッキと出会うか?

ばかり考えていました

本当におそろしい苦笑

 

余談ですけど

当時生放送の歌番組で

よくニッキは

マイクにキスしたり

歌わないところで

口パクで何か言っている時

あったんですよね

 

後々(10年以上後)の番組で

「彼女に合図を送ってた」って

言ってた時は

やるな、錦織!と思いました笑

それに一喜一憂してた私の気持ちを

返せ!と大笑

 

そして

FCから

PLAYZONEチケット申し込み」が!

当時、地方都市に住んでいた私が

青山劇場に行くなんて

夢のまた夢

 

でも行きたい

 

ヒガシと克ファンの友とも

「行きたいね」とずっと言ってて

思い切って親に話してみることに

しました

 

そしたらあっさりOK

東京にいる友の親戚宅に泊まるという

条件付きで

なんと中学生の私たちに遠征を許して

くれたのでした!

 

もうほんとに嬉しかったなー!

 

チケットが来たら

”N列”で✧︎

ニッキのNだぁ!なんて言いながら

東京へ向かいました

 

東京へ行くだけで

もうニッキが近くにいると思い

浮足立つ以上のはしゃぎようでした

 

私、関東出身で

今も関東に住んでますが…

ニッキのいる東京に

絶大なる憧れを持ってました

これが後々すごいことに

なりますが、また書きます

 

PLAYZONE前日夜は

ほとんど寝ずに

「ニッキに会えるぅー」

「ヒガシに会える!」

「かっちゃんに会える!!」

と暴れまくりの3人

その時写真を撮ってて

今でも家を探せばあるはず

人が狂っている基本図のような

姿が写っています、きっと笑

 

睡眠をほとんどとらないまま

青山劇場へ~

 

その時のニッキの役柄は

例の悪魔でした。

カッコよかったなー

面白かったなー

何よりも

ショータイムが盛り上がったな♪

今回は2回目のニッキということで

ちゃんと名前呼べたと思う

だって私のほうに向いて

欲しかったから(だからこわい)

 

初めての遠征、PZも

秒の速度で終わりました

 

中学生だけで遠征を許可してくれた

親には今でも感謝しています

 

ニッキへの狂気の愛

まだまだ続きます